COLUMN

コラム

2021.10.10

鳶(とんび)から鷹は生まれない

先日、都内の小学校の授業を見学に行った。小学5年生の国語の授業。新築されたこの学校では黒板の横に大きなプロジェクターが設置されていた。廊下と教室を分ける壁も窓もなく、バリアフリーであった。先生は教科書を中心に時には事前に作った画用紙に書いたカードを黒板に示し、時にはプロジェクターに写真などの素材を映し、立体的な授業であった。子どもたちは慣れた表情で色々な意見を積極的に出して、45分間の授業はあっという間に終わったように感じた。
先生が一方的に話し、黒板に書き、それを子どもたちがノートに写す。先生の問いかけに何人かのわかる子どもだけが手を挙げ、指されて答えを言う。こんな昔の授業風景に変わって、今では子どもたちが感じて、考えて、疑問に思うなど、授業の中で自由に意見が取り交わされていた。
私には新鮮に感じた。こんなに子どもたちは自由闊達に授業中過ごせていることに感銘を受けた。集団の意識もあるのだろう。それと、一方通行だった授業が双方向に転換している効果もあるのだろう。

この学校では6年生の3分2が中学受験をすると言う。周辺の小学校もほぼ同じ受験比率であると言う。
そうなると、小学校で自由闊達な環境を与えられていた子どもたちは、授業が終わると塾通いを強いられてしまう。大半の中学校受験塾の授業時間は夕方4時頃から夜9時くらいが普通であるという。5年生は週3回、6年生になると毎日、それが実態だと言う。1日の勉強が終わりみんなと遊ぶ、ごくあたりまえの子どもの日常はなくなってきてしまっている。先にも書いたが、だから夕方遊んでいる子どもの姿を見なくなってしまったのだろう。遊びを通じて社会性や体力、自分より小さな子への思いやりやルールなど、培われてきた環境がなくなってしまってきているのだ。

子どもが自分から受験したいなどと言うケースは多くないと思う。親が自分の価値観で子どもに受験を強いているのである。塾に行くときの夕飯はお弁当持参、または塾で予約した弁当やコンビニ利用で済ます。受験塾に通う家庭にはこの期間団欒はないのである。夜9時過ぎに塾が終わり帰れば10時を過ぎてしまう。それからお風呂に入って、と考えると子どもたちの1週間はなんとも悲劇的である。そんな1週間を毎週繰り返しているのかと思うと心配でならない。この努力が報われ志望校(親が希望した)に合格できれば良いが、その保証はない。

私はいつも「社会はクラス理論で動いている。」と言っている。ひとクラス40人としてこの中には勉強の出来る子、出来ない子、普通の子がいる。社会に出ても全くこの状況は同じ。仕事の出来る子、出来ない子、普通の子。自分のせいではない、大半は遺伝。
受験塾に通っている子が皆出来る子なのだろうか?ここでもクラス理論は生きている。一歩譲って酷な言い方だが、勉強の出来る子は受験塾でも行かせれば良い。でも、出来ない子を受験塾に通わせるのはいかがなものか。チャレンジは良いと思うが、失うものがあまりにも多すぎると思うし、将来その子の為にもならない。自分の子どもをしっかり観て、何よりも遺伝があるのだから、親が自分の子どもの頃の成績をよく見直した方が良いと思う。それから受験について考えた方が良い。鳶(とんび)から鷹は生まれる確率は少ないのだから…。

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