COLUMN

コラム

「ラーケーション」と言うことばをご存知だろうか。「ラーケーション」とは子どもの学び(ラーニング)と休暇(バケーション)を組み合わせたことばである。平日事前に届けを申請し、校外(家庭や地域)で体験や探究の学び・活動を自ら考え、親子(家族)で企画・実行することができる日として設けられた。校外での自主学習活動のため、子どもは学校の欠席扱いとはならない。愛知県と大分県別府市で、2023年度から始まった制度で2024年度は茨城県、山口県、栃木県日光市、沖縄県座間味村も始まり、全国的な広がりを見せている。愛知県では54市町村のうち名古屋市を除く53市町村(計1003校)が2024年1月までに実施されたと言う。名古屋市教育委員会は「取得できる児童生徒とできない児童生徒が混在するなど、導入に向けた懸念や課題が様々あることから現時点では、導入する予定はない。主に公平性、学習補充の観点から導入を見送った」と説明している。

平日に仕事の休みを取り、子どもと一緒に体験や探究の学びをする「ラーケーション」。私はとても良い制度だと思う。名古屋市教育委員会の「主に公平性、学習補充の観点から見送った。」と言う理由が今一つ納得できない。主に公平性とある。家庭環境(母子家庭や父子家庭、収入格差、企業格差など)の違いを懸念してのことだろう。私は昔から、社会は「公平」でなければならないが「平等」ではないと公言してきた。辞書を引くと「公平=判断・行動に当たり、いずれにもかたよらず、えこひいきしないこと。」、「平等=差別がなくみな一様に等しいこと。」と書いてある。教育委員会みずから「公平」と「平等」の扱いを大きく取り間違えている。ここでは「平等」と言いたかったのであろう。かりにことばは間違っていないとしても、私は名古屋市教育委員会の基本姿勢は間違っていると思う。現実問題として、現代社会において各家庭で格差があるのは当たり前である。
子どもたちの教育では社会を反映した、ありのままの現実を教えるのも正しい教育だと思っている。最近教育現場で、運動会で順位を決めなかったり、日曜参観を取りやめたり、なんでも「平等」を持ち出す傾向にある。先ほど書いたように社会では「平等」などと言うことはないのである。子どもが育った自分の環境と実情を知り、「ラーケーション」のような活動がなぜ我が家ではできないのか、理解させるのも教育の一環だと確信している。逆も真で、なぜ同級生のAくんはできなくて、自分の家ではできるのかを知るのも大きな教育だと思う。私の経験から「ラーケーション」制度が使えなかった子どもがその理由を理解できれば、悔しさ等はあるだろうが、きっと自分の将来に向かう大きな糧になるはずである。また、「ラーケーション」を実現できた子は、経済的なことなどを含め家庭のことが理解できる。事前に「ラーケーション経験談」紹介などを課す指導をしておけば、「ラーケーション」のできなかった子にも活きるはずである。それが子どもの視野を広げ、人に対する思いやりなども育てることになるのではないだろうか。
ただ、「公平だ、平等だ。」とPTAや保護者の目だけを気にして、お題目のように言って対処するのではなく、世界のどこにでもある現実の格差社会を見据え、それを元に子どもたちを教育すべきだと私は思う。「公平」を守りつつ。

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