COLUMN

コラム

2024.06.10

今までにない大きな教育改革の必要性

先月のコラムで「金太郎飴」の話をした。書き終わって、ふと先日授業見学させてもらった学校のことを思い出していた。私が子どもの頃は学校にある備品、テレビ、テープデッキなどの放送機材、音楽室のオーディオ設備、どれをとっても自宅にはない先進的で興味深いものばかりであった。学校に行けば「観られる、触れる、試せる。」でワクワクしたのを覚えている。それほど少し前の学校は、一般家庭より視聴覚機器含め全てが進んでいた。しかし、先日訪問した小学校では多少新しい機材はあったが、今家庭にあるテレビやプロジェクターやIT周りのハードと比べるとどれも古い、遅れをとっていた。国の教育予算がなくて設備を充実できないということもあるだろうか。それにしては小・中学校の児童・生徒全員に1人1台パソコンが配られている。あれこれ自問自答し始めると、予算などの問題だけではない学校教育を取り巻く大きな問題に気づかされた。自分でも新たな発見に驚いている。
人間の歴史は狩猟時代から農耕時代、産業革命を経て工業化時代へ大きく躍進してきた。明治以来の日本教育の基軸は欧米の産業に追いつけ、追い越せを目標に、つい最近までこの工業化時代に合うように進められてきたのである。欧米各国の技術を真似し、決められたノウハウを取得、決められたように作り出せばよかったのである。バブル崩壊まではこれがうまく噛み合い、日本は大きな成功を収めていた。決して突飛なことを必要としない、どの子どもにも工業化社会に適応できる教育をし、社会に送り続けてきたのである。だから「金太郎飴」的子どもが多く生まれてきたのだろう。
どの学校の校舎も廊下は片側にあり、その片側が教室、この風景は昔と全く変わっていない。入学式、卒業式、運動会、学習発表会、朝礼、掃除当番、日直、ほぼ全てが何十年経っても同じことを繰り返している。先生が教え、児童・生徒が聞くという授業形態も昔のまま。時代が変わっているのに学校の運営、経営が旧態依然のままに行われている、そこに大きな問題があることに気づいた。時代に合った改革をしてこなかったのである。親の世代も、学校の運営が昔と同じことへの疑問は希薄。世界的には子どもたちを取り巻く環境は大きく変っているのに、日本はそれに即応した教育改革に取り組んで来なかったのである。

世界は1990年代後半には工業化時代から情報化時代に移っている。もう既に人間が工業製品を作る時代は終焉を迎え、代わりはロボットで十分になってきている。学校にいなくても教育が受けられる時代、今の学校での教育が時代の流れに即しているとはとても思えない。家庭では携帯電話、ネットTV、家庭用プロジェクター、ブルートゥース通信、Wi-Fiは当たり前の時代。なぜ学校だけが変わっていないのだろうか。情報化時代になってもハード・ソフト面どれをとっても昔同様の教育をし続けてきた。その為に他の先進国より大きく遅れをとってしまった。だからGAFAのような情報化時代を象徴する様な企業も生まれて来ない。
教員、教育関係者、お役人も含め情報化時代に変わっているとは認識している。この情報化時代の次の時代が押し寄せて来ていることにも気づき、認識は持っている。しかし、それをどのような教育方針で、どのように時代に則した形で教育現場を変えていけば良いのかが打ち出せていない。今まさに、「ひっくりかえすほどの大きな学校の教育改革」が必要だと思う。

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