COLUMN

コラム

2021.02.26

「夢」と「儚い(はかない)」

元気な子どもたちの日々の行動を見るにつけ、歳のせいか子どもには「夢」があっていいなと思う。大人たちも、親も学校の先生も「夢を大きく持ちなさい。」と言う。大学で講義をしていた頃、大学生にも「君たちには夢や希望がいっぱいある。歳をとるとその夢さえも現実に押しつぶされて行く。若い時は大きな夢を持って勉強し、前に進みなさい。」と言っていた。

よく本を読む。歳をとるに連れその冊数も多くなってきたようにも思う。先日ある本を読んでいるときに「儚い(はかない)」と言う漢字が出てきた。その言葉に急にひっかかり、そこで止まってしまった。亻(にんべん)に夢と書いて、なんで「はかない」と読むのか。今まで何も感じていなかったが、急にこの漢字に興味を持ってしまった。漢字のことだから何か意味や謂れがあるのだろうと。それまで私は「夢」と言う言葉を明るい希望の持てる良い言葉の意味として多く使っていた。どう考えても人が夢を見て「儚い(はかない)」と言う言葉に繋がらない。もっと希望に満ちた言葉になるはずだと・・・調べてみた。

漢字発祥の中国では「儚い」を「はかない」とは読まない。「おろか」という悪い意味で使われている。もともと「夢」と言う漢字は「暗い」とか「見えない」と言う意味を表す漢字として使われていたそうである。そこから寝ているときに見るものが「夢」となったようである。「夢」の漢字を分解してよく見ると草冠は森を表し、真ん中の「四」は「目」を意味する。その下の「ワ」と「夕」は夕方を覆うと言うことになる。夕方の暗い森の中、目を凝らしても暗くてはっきり見えない様子を意味している。

今ここで「夢」は本来暗い意味のときに使う言葉なのだと言おうと思っている訳ではない。「夢」は現在、良い言葉の意味で多く使われている、それを否定するつもりもない。しかし、「夢」叶えば満足、叶わなければ「儚い(はかない)」思いになるのだろうか。そうではない。「夢」は見えないものがいっぱいあるから、叶うも叶わないも「夢」に向って行くその気持ちの過程が大事なのである。その過程の檄の言葉として「夢」が使われることは良いことである。儚い結果でも良いと思う。この言葉に出会って、長い人生それが人間の「業」のように思えてならなくなった。親である私たちは、いつも「夢」を叶える満足ばかりを子どもに追い求めているのではないだろうか。テストや運動など一時点で「儚い」結果になったとしても、これからの何十年と言う子どもたちの人生、何も憂うことはないのではないかと思う。

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