COLUMN

コラム

「金太郎飴」を知っているだろうか。昔話の「金太郎」は、強い子どもの象徴としてよく知られている人気のキャラクターであったため、飴にこの名前を付けたと伝えられている。調べると、明治の初め頃、初代菊松が露天商として、東京の三ノ輪の地で飴を売り始めたのが始まりだという。名付けた当時は日本が今ほど豊かではなかったため、この飴を食べて「金太郎」のように強くたくましい元気な子に育ってほしいという一種の親心のような願いも込めて名付けたと言われている。
しかし、「金太郎飴」と聞くと「飴」の名前ではなく、どれも個性がなく皆おなじようであることの例えで聞くことの方が多い。わが国はいつからかは定かではないが「金太郎飴」を意識的に支持して来たのではないかと思って仕方がない。同じ制服で幼稚園や学校に通う、運動会の徒競走は順位を付けずに手を繋いでみんな一緒にゴールを目指す、「これはダメ、あれはダメ、ここではこうしろ、そこではこれをやってもいい。」などと行く前から校外学習や社会科見学なども、やたらと子どもたちに制限を設ける。規則が多いのも日本の教育の特徴であろう。これらが無意識のうちに個性を同化させてしまっているのではないだろうか。小さい時からこのような教育を受けて来ているのだから個性豊かな子どもが出現するのは稀有な状態になると思う。そのように教育しておきながら先生や大人は「個性がない、個性を出すことが大事である。」と説く。昔は、勉強はできないが、絵の上手な子、運動の得意な子、楽器演奏や音楽が得意な子、ダンスや歌が得意な子、教科以外でそれぞれ突出した子どもがどのクラスにも1人ぐらいはいた。今を振り返ると、そういった子どもを見ることが少なくなった。どの子も個性がない「金太郎飴」そのものである。
なぜ「金太郎飴」が定着したのだろうか。答えは簡単である。教育もさることながら、日本社会が全般的に豊かになってしまったからではないかと思っている。アルバイトをやっても生活ができてしまう時代。食べるものに困ることなく、生活ができてしまうからであろう。「ハングリーさ」がないのである。必要なものがなければ、なんとかして作ったり、手に入れる努力をする。しかし、日本社会ではこのようなことは皆無に近い。そうしなくても生活ができてしまうのである。だからみんなと同じことをしていれば「安心」、みんなと違う事をするのは「リスク」、このことが「金太郎飴」化を助長して来ているのではないかと思う。個性がないから独自性がない、だから、この先諸外国と戦って行くのは難しいように思う。

失われた30年という言葉が紙面をたびたび覆う。これは経済面だけではなく、教育においても同じなのではないだろうか。太平洋戦争に敗れ日本中が瓦礫となったところから、日本人は復興を成し遂げた。「ハングリー」だったのである。だから、いろいろな個性ある人のアイデアや工夫が武器になり、世界に通ずるソニーや京セラなどのような企業が誕生した。今はあるだろうか。ないと思う。GAFAに代表される世界的なIT企業は日本から生まれていない。この先も当分生まれないだろう。これから人口が減って行く日本、勉強だけの「金太郎飴」君ばかりだけでは戦えない。日本を復活させるキーワード「個性」。「金太郎飴」教育をやめ、個性溢れる教育に着眼し、子どもたちに夢のある教育を与えてはどうだろうか。

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