COLUMN

コラム

先日、役所に勤める知人から面白い話を聞いた。彼は霊長類の研究を大学時代にしていたと言う。人間に近いチンパンジーを例に取って、彼らは教えたらほぼなんでもできるようになると言う。好奇心が強く、興味を持ったものには自分なりのアイデアを駆使して行動を起こす事もあると言う。しかし、良い事と、悪い事をしっかり教えないと、悪い事も単なる一つの行動として捉え、平気で行うと言うのである。したがって、幼い頃から良い事と悪い事の区別をしっかり教える事が有効であると言う。そして、彼はチンパンジーの話からアフリカ紛争地帯の子どもたちの話になった。
アフリカのコンゴ民主共和国、中央アフリカ共和国、スーダンなどでは民族粉争が長く続いている。この紛争で多くの人が亡くなっている。 アフリカの紛争地帯では、兵士の服装を身に纏い、手に銃を持った幼い子どもたちが躊躇なく人々を射殺すると言うのである。そして、教育の欠如に加え、戦争環境そのものが、子どもたちに暴力を強いる要因となっているのではないか? それは、教育を受けられない状況下、暴力が当たり前の環境で育ち、人を殺す事への倫理的な疑問を抱く機会が、極端に少なくなっているからではないかと言う。

その話を聞きながら、「その通りだな。」と思った。私たちは生まれてからずっと教育をただ同然のごとく受けてきた。あるのが当たり前で、この教育を通して善悪の判断だけでなく、多くの教養も身に付ける事ができた。再度、教育のあるありがたさを実感した。
アフリカの紛争地帯の一部では、教育を受けられない子どもも多い。正式な教育を受ける機会が限られている環境では、社会的なルールや道徳の学習が困難な場合もある。子どもは将来に向かう大切な宝である。難しいのかもしれないが、どうにかしてこの子どもたちを救う事ができないのだろうかと思う。
教育環境に恵まれた日本では、教育と言うと、すぐに学校の成績の事ばかりに走りがちである。「いじめ」や「不登校」が増加している教育環境、教育が人間の行動に影響を与える事を考えると、日本においても、学力だけでなく道徳や社会性の教育を重視する事が重要ではないか。教養以前に、人間として『しなくてはならない事』『してはならない事』を、家庭教育も含めて幼い頃から繰り返し教える事が重要ではないだろうか。

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